山田風太郎の大作「八犬伝」です。
10月25日に映画化作品が劇場公開される予定なので、原作をご紹介します。この作品は、1982年から新聞連載され、その後書籍化されたものです。原作はもちろん「南総里見八犬伝」。この八犬伝の作者の滝沢馬琴と葛飾北斎との交流を描く「実の世界」と、八犬伝のストーリーをなぞる「虚の世界」の2つの世界を交互に描いていくという体裁になっています。
映画でも、おそらくはその体裁をとるのだと思いますが、まだ公開前なので確定的なことは言えません。公開されたら、見に行く積りなので、その後に感想を書くので、映画のことはその時に。
原作は、明治ものを書いている途中。風太郎は何でも書けるし、何を書いても名作の名に値する作品を生み出す天才作家でしたが、時代ごとに主力になる作品群が移り変わっていきます。
まずは探偵小説作家としてデビューし、その後、忍法帖の時代に。この忍法帖が稀に見る大ヒットを記録して、今でも山風の代名詞となっています。
その次が明治もの、人生の最後に室町ものを書いています。
明治ものを描いている当時はすでに作家として円熟期にあって、融通無碍の作風を確立しています。特に、実在の人物、又は他の作り手によって創造されたキャラクターが、意外な場所で出会っていて、登場人物達に影響を与えるというアイディアは、後世の作家にも多くの影響を与えましたが、その手法がこの「八犬伝」でも使われています。
まあ、初期のころの短編の「黄色い下宿人」の意外さに比べれば、滝沢馬琴と葛飾北斎はそんなに意外性が強い訳では無いですが。原作には鼠小僧次郎吉を思わせる人物もちょい役で出てきますが、これは映画では出てくるのでしょうか?
小説は上巻の頃には、馬琴パートはあまりおもしろく無いし、そもそも短いのですが、その分、八犬伝パートがさすがは江戸期を代表する伝奇冒険小説らしく、とてもおもしろく、風太郎のリーダビリティの高い文章もあってさくさく読み進められます。
しかし、八犬伝の物語そのものは、長く続けすぎた物語によくあるパターンですが(良い例がジャンプ黄金時代のヒット作の後半)、その後半部分に入る頃(下巻に入る頃)から「実の世界」の比重が高くなっていきます。
年老いた滝沢馬琴は盲目となり、もはや作品を書き進めることが出来なくなってきたのですが、息子の嫁が文盲であったのに、文字を覚え、口述筆記で最後の部分を書き上げるという展開になります。
風太郎の筆はこの部分に至って、凄みを帯びていきます。重苦しい雰囲気のなか、足掻くように一歩一歩進んでいく様子は、もはや読みやすいとは言えないのですが、読んでいてなにかに取り憑かれたような文章に魅入られます。
来年の大河ドラマ「べらぼう」では蔦屋重三郎の時代を描くので、馬琴が活躍した時代とは一部重なってはいますが、ちょっとズレているのが残念。どうやら「八犬伝」には蔦重の出番はなさそうです。
山風の「◯◯もの」に含まれない、単発の小説はどうしても有名になりにくいのですが、実は読んでいて引きずり込まれそうになるぐらい面白いものがいくつもあります。この「八犬伝」もそうしたものの一つですが、その他にも「太陽黒点」「妖異金瓶梅」「妖説太閤記」「白波五人帖」あたりは是非とも読んでもらいたい作品になります。
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