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「氷菓」コミカライズ16巻の感想 ネタバレ有り

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氷菓 コミカライズについて

「氷菓」は2011年に刊行された米澤穂信の推理小説で、これを第1巻として「古典部シリーズ」として続刊が続いています。作者のデビュー作品でもあります。

その後、シリーズは何作か続き、2012年に京都アニメーションの制作により、全22話とOVA1話でアニメ化されました。原作小説の第1巻発売から10年が過ぎており、漫画作品のように旬を追いかけるということが比較的少なめな小説作品ですが、それでもラノベ界隈では珍しい話です。

もっとも、その頃には古典部シリーズはラノベシリーズから出発しましたが、推理小説シリーズへと変貌していましたが。

そのアニメ放映と時期を合わせて、キャラ原案がアニメ作品のキャラデザを流用し、作画タスクオーナでコミカライズもスタートしています。

それが、今回紹介する「氷菓」の始まりで、すでにアニメは終了して久しく、アニメで放映した部分はコミカライズ終了しているにもかかわらず、現在は原作のアニメになっていない部分を扱っています。

タスクオーナは、この氷菓以外に「Fate/stay night [Heaben’s Feel]のコミカライズも手掛けていて、しかもあまり速筆な人ではないので、12年かけて16巻とスローペース。

ただし、長期休載などは無いので、じっくりと作品に取り組んでいる、という印象を与えます。

原作「古典部シリーズ」について

シリーズ第一作「氷菓」は、米澤穂信のデビュー作品。ライトノベルの新人賞である角川学園小説大賞のヤングミステリー&ホラー部門で奨励賞を受賞し、スニーカーミステリ倶楽部から刊行されています(2001年)。

作品内容は当時、割と注目されていた「日常の謎」を解き明かすというもので、派手な殺人や大きな盗難などはなく、日常生活の中でちょっとした「?」を、探偵役が意外な真相を解き明かすというものです。他には北村薫の「円紫シリーズ」、倉知淳の「猫丸先輩シリーズ」などの良作があります。

米澤穂信の「古典部シリーズ」の特徴は、多感な高校生達を主人公にしているだけに、彼ら主人公グループの屈託や青春の悩み、戸惑いなどが謎に絡めて印象的に語られるのが特徴で、どこか苦い読後感があります。これは米澤穂信の別作品でもある「小市民シリーズ」や、「さよなら妖精」「ボトルネック」などではもっと鋭い痛みを感じさせるような表現になっています。

「古典部シリーズ」は、2作目の「愚者のエンドロール」も一作目と同じレーベルで発表されましたが、そこで企画が頓挫。もともと人気があまりでていなかったためにそのまま終わるかと思われましたが、シリーズ3作目として用意していたプロットを全面改稿して東京創元社から「さよなら妖精」として出したところこれが高い評価を受けて、古典部シリーズも息を吹き返し、2005年にシリーズ3作目「クドリャフカの順番」が単行本で出版。同時に前2作も角川文庫から刊行されて、この時点でラノベシリーズから一般小説の推理小説シリーズに衣替えをします。

その次に短編集である、「遠まわりする雛」が2007年に発表され、ここで京アニによるアニメ化企画が進行。

アニメ放映と同時期に次の長編「ふたりの距離の概算」が出ていますが、米澤穂信の執筆スピード自体は落ちてないのですが、もっと大人の主人公が一般社会で謎解きをする作品へとシフトしていき、青春小説シリーズでもある「古典部シリーズ」や「小市民シリーズ」は刊行速度が落ちています。

「古典部シリーズ」では「いまさら翼といわれても」という短編集が2016年に出たのみ。

著者の一番人気のシリーズとしてムック本や愛蔵版などが出ていますが、新作はなかなかお目にかかれません。

なお、京アニのアニメでは、主人公の奉太郎たち高校1年生の一年間の出来事を扱ったもので、時系列順に並んだ長編3作の間に、その合間におきた小事件を扱った短編集「遠まわりする雛」の各短編を時系列に並べ直したという形になっています。

そうなると、2年生の最初の事件を扱った「ふたりの距離の概算」もアニメでみたいところですが、残念ながら原作もボリュームが足りませんし、主要スタッフが例の忌まわしい「京都アニメーション放火殺人事件」の犠牲になってしまい、他のスタッフで作ったところであの第1作目の雰囲気は再現出来ないだろうと思われます。

ただ、奉太郎達の1年間は最後の桜吹雪のシーンで実に美しく完結している、とも取れるので、雰囲気が変わる2期を作るぐらいならこのままの方が良いのかも知れませんね。

「氷菓」コミカライズ16巻について

ここからネタバレもあります。

この16巻では、前述した通り、アニメ化されていない「ふたりの距離の概算」のコミカライズをしています。

「遠まわりする雛」までの部分は13巻のはじめぐらいで完了して、そこから先は2年生の新学期の様子が語られます。「遠まわりする雛」でコミカライズも終わると、さみしいことはさみしいですが、美しい完結だな、とも当時は思っていました。なので、2年生編が始まって嬉しいやらなにやら。

2年生編はすでに13~16巻を費やしているのですが、途中で「いまさら翼といわれても」の短編のネタが挟まれていたりして(つまり時系列順に再構成されているので)、けっこうペースは遅くなっています。

概算のほうは奉太郎たち主人公4人組が無事に高校2年に進学し、古典部も仮入部した1年生1人を加えて5人体制で日々を過ごしていく様子を描いています。

この新一年生の大日向友子はショートカットで明るい笑顔が印象的な一年生で第一印象は屈託なく笑い、可愛い後輩タイプなのですが、そこは米澤の小説なので、時折り何か含むものがあることをチラチラと描写されます。

そして、この16巻でいよいよ、いきなり大日向は仮入部を取り消し、入部しないことに決定します。その理由を奉太郎が学校行事のマラソン大会の間に探っていくというのが、今回の長編の趣旨になります。

大日向が仮入部してから、辞めるまでの間にいくつかの事件とも言えないような小事件が発生し、それを奉太郎がマラソンしながら思い出し推理し、時々うしろから追い抜いていく千反田や摩耶花と短い会話をしながら解き明かしていく、というものです。

まだ、推理し始めたばかり(マラソンが始まったばかり)で、もうしばらく推理にかかりそうですが、そこまでコミカライズがたどり着いたら、後はいくつかの短編を手掛けて、もう原作がなくなります。

ですが、どちらにしても刊行ペースが年に1冊程度なので、まあ残り僅かな原作をゆっくりと楽しんでいくことにしましょう。

ちなみに大日向さんは、もちろん京アニのキャラ原案が無いので、タスクオーナの完全オリジナルキャラデザになりますが、小説版の印象とぴったりでした。

この「ふたりの距離の概算」は、屈託を描いていながらも、青春をテーマにしている所為か、どこか春風が吹いているかのような1年生編と比べると、けっこう刺々しい雰囲気。

例えば、同級生の摩耶花が奉太郎を嫌っているのは前からなのですが、ここではかなり露骨に描かれます。嫌っている理由自体は、摩耶花の誤解によるものでそれは「いまさら翼といわれても」中の短編「鏡には映らない」で明らかになるのですが、それはそうとして、そもそも摩耶花の性格的に一見するとサボリやで消極的な奉太郎の態度が癪に障るのでしょうね。

また、見た目だけではなく、中身もある意味のほほんとしたお嬢様である千反田が、内面夜叉だと言われるようなシーンもあり、それらもすぐに当人たちが弁明しないので、棘が抜けないままラストまでいく、という読後感の一冊です。

なので、これをコミカライズして終わり、というのは少し後味が悪そう。米澤作品は後味の悪さを楽しむものだ、というファンの声が聞こえそうですが、これだけ長いシリーズに付き合ったのだから、最後は爽やかに締めてほしいものです。

もう読むことが出来ないと思われた「小市民」が完結編が刊行され、さらにアニメ化までされている現在、古典部も新しい長編がほしいものです。



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