エドラダワーはスコットランドで一番小さい蒸留所として有名な存在で、ハイランド・モルトの1つ。エドラダワーの生産量は96,600リットルで、シングルモルトでは最も飲まれているグレンフィディックが大体生産量1千万リットルであるので、1/100程度に過ぎませんが、ウイスキー業界では重要な存在です。
創業は1825年。その前々年はスコッチウイスキーにとって重要な年で物品税法が改正されて酒税が大幅に下がり、密造ばかりであったスコットランドのウイスキー生産が政府の認可を得た蒸留所で作られるようになっていきました。
エドラダワーはそれを受けて、地元の農民の協同組合として誕生。
1834年に現在の場所に新しい建物を建設、37年に協同組合のジェームズ・ボンド・スコットとダンカン・スチュアートが経営に携わり、エドラダワー(2つの川の間の土地)というブランド名も得ました。
ごく小さな蒸留所であったために逆にスコッチウイスキーに何度も襲いかかった多くの有為転変をくぐり抜けて、存在し続けることが出来たのです。
1853年に地元農家のジェームズ・リードが蒸留所を買収。しばらくはそのまま経営されますが、1884年に元の創設者の1人の息子であるジョン・マッキントッシュに所有権が移り、積極経営に移ります。1911年にマッキントッシュ家に加え、ワイン商のジョン・スチュアートも経営パートナーとなって、第一次大戦を乗り込めます。戦間期の1933年にウイリアム・ウィットレーに買収されて、JG Turney&Sonとなります。ウィットレーが所有していた「ハウスオブローズ」(House of Lords)と「キングスランサム」(King’s Ransom)という銘柄の原酒として、エドラダワーは使われるようになります。
第二次大戦厨の1941年にこのハウスオブローズやキングスランサムなどなど約24万本のウイスキーを積んだイギリスの貨物船が、スコットランド沖のエリスケイ島で座礁するという事件が起き、積荷を取り返そうとする船会社と隠そうとする島民のドタバタをイギリスの作家コンプトン・マッケンジーが小説化。
そのタイトル「ウイスキーガロア」(Whiskey Galore)のガロア(Galore)とはゲール語で「いっぱい」という意味だそうで、この本は1949年に映画化され、2016年になってリメイク(邦題「ウイスキーと2人の花嫁」)されるという息の長い作品になっています。さらに現在ではウイスキーガロアという雑誌まで日本で刊行されています。
戦後の1976年、蒸留所はアメリカ/オーストラリアのファンドに売却され、さらに82年にペリノ・リカールの子会社のキャンベルディスティラーに売却されます。
その後、1986年にキングスランサムが廃番になると、ハウスオブローズとクランキャンベルというブレンドの原酒に使われる他に、エドラダワー10年が発売され、蒸留所の名前のシングルモルトが市場に出回るようになります。
02年にインディペンデントボトラーのシグナトリー・ヴィンテージのアンドリュー・サイミントンがオーナーとなり、蒸留所をスコットランドの手に取り戻してからは、世界最小の蒸留所であることは変わりありませんが、新しいボトリング施設を造って、敷地内でのボトリングを始め、積極的な投資をしています。
また、エドラダワーは1983年にビジターセンターをオープンした頃から、蒸留所見学を積極的に受け入れていることでも知られ、多くのファンを生み出しています。
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【包装不可】 エドラダワー 10年 40度 円筒箱付 700ml 並行




