テネシーウイスキーとは
テネシーウイスキーとは合衆国南部のテネシー州で作られるウイスキーになります。
税法的にはテネシーウイスキーもバーボンウイスキーと同じになりますが、もっとも有名なテネシーウイスキーであるジャックダニエルはラベルに堂々と「Tennessee WHISKEY」と記されています。
テネシーウイスキーの特長
テネシーウイスキーは原料や生産地域の条件以外に、製造した原酒をサトウカエデの炭でろ過を行う「チャコールメローイング製法」を採用していることが特長です。
この製法により、雑味が取り除かれてスッキリとした味わいになっています。
主なテネシーウイスキーの銘柄
ジャック・ダニエル
テネシーウイスキーの代表的な銘柄であると同時に、あらゆるバーボンウイスキーの売上を抑えて、売上No.1になっているのがこのジャックダニエルです。
元来、テネシー州はナッシュビルやキングビルといったフォーク、ブルース、カントリーミュージックの聖地と呼ばれる音楽の都があり、そこで活動していたミュージシャンの中に大勢のジャックダニエルを愛飲するロックスターやミュージシャンがいます。
有名どころを挙げるだけでも、フランク・シナトラ、レミー・キルスター、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズ、ジミー・ペイジ、ヴァン・ヘイレンのマイケル・アンソニー……と枚挙に暇がありません。
彼らはジャックダニエルのコーラ割りであるコークハイを愛飲し、今でもコークハイといえばジャックダニエルという印象が強く残っています。
創業者のジャスパー・ニュートン・ダニエルは貧困の中に生まれ、ルター教会の牧師で蒸留所オーナーであったダン・コール家に雇われ、テネシーウイスキー独自の製法であるチャコールメローイング製法を学び、ウイスキー造りに関わっていきます。
やがて牧師の仕事に専念するために、ダン・コールはジャックダニエルに蒸留所を譲り、わずか16歳の1866年に自身で作ったウイスキーを自分の名前を刻んだジャグ(陶製のボトル)に詰めて販売しはじめ、蒸留所を政府に登録して、アメリカで最初の政府公認の蒸留所となります。
その後、1904年にミズーリ州のセントルイスで開催された万博でオールドNo.7を出品し金賞を受賞。知名度も上がり、世界中に認められるようになっていきます。
続いて禁酒法の時代になって、蒸留所は事実上閉鎖に追い込まれますが、禁酒法撤廃後にジャックダニエルの甥であったレム・モトローによって再建されます。
モトローの死後には蒸留所を継ぐ者が居なかったため、ブラウン・フォーマン社に売却され、現在ではジャックダニエルのオーナーはブラウン・フォーマン社となります。
現在ではブラックラベルと呼ばれるようになったNo.7が代表銘柄で、今でもラベルにはOLDNo.7の文字が飾られています。
ジョージ・ディッケル
ジョージ・ディッケルはテネシー州コーヒー群のジョージ・ディッケル蒸留所で作られるテネシーウイスキーの銘柄になります。
ジョージ・ディッケル氏は1818年生まれのドイツ系移民であり、1850年から酒類を販売する商人になりました。彼はアメリカ英語のWhiskeyという綴りではなく、スコットランドのWhiskyを使っていて、これはスコッチウイスキーに負けない品質のウイスキーを販売するという思いからだそうです。
1870年に蒸留所を設立し、禁酒法で一度は閉鎖しますが、法の廃止後に再建。ディアジオ社がブランドを所有したことにより、ジョージ・ディッケルの名前が商標になっています。
テネシーウイスキーはジャック・ダニエルが一番有名ですが、ジョージ・ディッケルはそれに続くテネシー州で2番目に規模の大きい蒸留所になります。
チルド・メイプル・メローイングというろ過方法を使っていますが、それはサトウカエデの木炭の上に毛布を敷き、一週間浸すという方法です。ジャック・ダニエルとは違って、サトウカエデの木炭だけではなく羊毛で作った毛布を利用している点が違います。
また原料のとうもろこしの割合が高いのも特長で、熟成は5年以上も行われています。


