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ニッカウイスキー

ニッカウイスキー

ニッカウイスキーの概要

ニッカウヰスキーは、昭和9年に竹鶴政孝によって、北海道余市町に「大日本果汁株式会社」が設立され、その略称の「日果(ニッカ)」のカタカナ書きが現在のブランド名になっています。

なぜ、ウイスキーをつくるための会社の社名が「大日本果汁」なのかというと、ウイスキーは製造開始から出荷まで数年もかかるため、その間の資金繰りをするために最初期は余市周辺の特産品であったリンゴを原料に、リンゴジュースを製造・販売していたことに由来します。

現在のニッカは、日本のウイスキー市場においては、サントリーと並ぶ2大巨頭で、国内のシェア約34.2%(2022年実績)を誇っています。

創業時からの北海道余市の余市蒸留所、1969年開設の仙台市青葉区に宮城峡蒸留所を持ち、余市ではモルト、宮城峡ではモルト、グレーンを作っていますが、余市と宮城峡で作られるモルト原酒を比べると、ポットスチルの違いにより性格が異なっていて、これらがニッカの味を決定しています。

ニッカウイスキーの歴史

ニッカウイスキーは竹鶴政孝が1934年に本社を東京市大森区(現在の東京都大田区)に置き、北海道の余市に蒸留所を建ててスタートしました。最初期の筆頭株主は加賀証券社長の加賀正太郎で、彼は社内では「御主人様」と呼ばれ、竹鶴は専務と呼ばれていたそうです。

ウイスキーは製造から出荷まで最低数年はかかる商品であり、その間の資金繰りも兼ねて、まずはリンゴジュースの製造販売からスタートします。

1935年にはリンゴジュースを原料にブランデーと甘味林檎酒を製造することになり、ブランデーとウイスキーの製造免許を取得。1939年に経営状況が改善されないまま、ウイスキー製造を開始します。

1940年にウイスキーの出荷を開始。ニッカウイスキーと名付けれますが、直後にウイスキーは統制品になり大日本果汁は海軍監督工場になります。当時のスコッチウイスキーの最大の消費者は帝国海軍であったため、イギリスのウイスキーが途絶えたため、国産ウイスキーへの需要が高まり、将校への配布用として製造することになります。

このため、優先的に原料の大麦が割り当てられて、事業の継続が可能となります。

戦後になって、他社の低品質な三流ウイスキーが発売される中、低価格品を投入しなかったため、またもや経営難に陥りますが、加賀が三級の発売を要求し、1950年にニッカスペシャルブレンドウヰスキーを発売。これは三級とは言え、原酒を当時の税法の制限いっぱい入れ、着色料も合成色素ではなく自社製造したカラメルを使うなど、最低限のこだわりを保ちます。

1952年にニッカウヰスキー株式会社に社名変更し、日本橋に本社を移転。54年には銀行からの融資を断られるようになり、加賀も健康上の問題を抱え、加賀は自身に変わるニッカの後ろ盾として朝日麦酒の資本参加を実現させます。これにより現在まで続くアサヒビールとニッカの関係が生まれます。

他社製品よりも高いニッカの二級ウイスキーはあまり売れていませんでしたが、アサヒから派遣された弥谷醇平の説得で、新二級ウイスキーの丸壜ニッキーを発売。売上倍増しています。

その後は工場開設などが進み、事業も順調に推移します。

1964年に日本初のモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドしたハイニッカを発売。翌年には新「ブラックニッカ」を発売して、業界首位のサントリーも対抗製品を出してウイスキー販売戦争が起こります。

1969年にニッカにとって2つ目の蒸留所となる宮城峡蒸留所を開設。

1989年にはスコットランドのベン・ネヴィス蒸溜所を買収。

2001年、アサヒビールがニッカの全株式を取得し、完全子会社化します。子会社化のあともニッカの個性は失われておらず、本格的なウイスキーファンに愛される、独自のこだわりのウイスキー造りを続けています。

創業者竹鶴政孝の仕事

竹鶴政孝は広島県竹原市の竹鶴酒造出身のウイスキー製造者で、ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的な始祖、マルスウイスキーの間接的な始祖になり、「日本のウイスキーの父」と呼ばれています。

1923年に、スコットランドでウイスキー造りのための留学から帰った竹鶴政孝は壽屋山崎工場(現在のサントリー山崎蒸留所)の初代工場長として日本初の本格ウイスキー製造を指揮。それまで、日本のウイスキーといえば、名前だけの粗悪品しかなく、ここから本当のジャパニーズウイスキーの歴史が始まったと言っても過言ではないでしょう。

サントリー退社後に、より本格的なスコッチの製造を目指してニッカウヰスキーを設立。

その後、数十年に渡りニッカウヰスキーを経営しますが、1970年に代表取締役会長に退き、1979年に死去します。

竹鶴政孝はスコットランド留学時にグラスゴー大学で知り合った女子学生エラと出会い、その姉のリタと親交を深めて1920年に当時としては珍しい国際結婚をしています。そしてリタを連れて日本に帰国し、リタは竹鶴の事業を助け続けて、1961年に没するまで二人三脚で歩んでいます。

その姿をモデルに、2014年のNHK連続テレビ小説「マッサン」が放映され、当時ウイスキーブームが起こりつつある時流と重なって、大いにニッカの業績を助けました。

ニッカウイスキーの蒸留所

余市蒸留所

ニッカウヰスキー創業の地である、北海道余市市に1935年に開設しました。

余市の気候風土はスコットランドと似ており、更に北海道には原料や燃料となる大麦、石炭、ピート、酵母の入手が容易であり、余市川の良質な水も使え、多くの条件を満たしています。

蒸留所内の建造物9棟が国の「登録有形文化財」に登録され、観光地としても人気があります。

現在、世界で唯一とされる昔ながらの「石炭直火蒸留」を行っていて、そのモルト原酒は力強く重厚。コクが有り、スモーキーでピートの効いた香りが楽しめます。

宮城峡蒸留所

宮城県仙台市青葉区にある蒸留所で、創業者の竹鶴政孝が、近くを流れる新川の川の水で作ったブラックニッカの水割の風味に納得して、工場建設を即決したという逸話があります。1969年開設。

スコットランドの風土にたとえて「ハイランド余市」と「ローランド宮城峡」と表現されることもあります。

こちらも1992年のガーデンハウス「赤レンガ」のオープン以来、蒸留所見学を受け入れています。

すでにかなり時代遅れのカフェ式連続式蒸留機を使っているのが特長で、この蒸留機は効率は悪いのですが、通常の連続式蒸留機に比べて原料由来の風味や成分が残りやすいのが特長。

そこで作られる原酒はみずみずしく華やかな香りと軽快でスムースな飲み味が魅力です。

男性的な余市に対し、女性的な宮城峡と呼ばれることもあります。

ベン・ネヴィス蒸留所

ベン・ネヴィス蒸溜所は1825年にジョン・マクドナルドによって設立されました。彼は身長が193cmあったことから、ロングジョンと呼ばれ、その名にちなむブレンデッドウイスキー「ロングジョン」が作られています。

蒸留所は何度か所有者が変わりますが、1980年代には製造中止していた時期もあり苦戦しています。

1989年にはニッカウヰスキーが買収し、それ以来ニッカからアサヒビール、アサヒグループホールディングスと持ち主が変わっていますが、これはニッカ自体がアサヒの機能子会社になったため。

かなりの生産量を誇る蒸留所ですが、かなりの量が輸入されてニッカの製品に使われていると思われます。

ニッカウイスキーのブランド

竹鶴ピュアモルト

ピュアモルトとは、ブレンデッドモルト、ヴァッテッドモルトとも言われ、複数の蒸留所で作られたモルト原酒をブレンドしたものになります。

竹鶴ピュアモルトはニッカの持つ余市と宮城峡のモルト原酒をブレンドしたもので、力強い余市と華やかな宮城峡の味わいが楽しめます。

シングルモルト余市

余市蒸留所のモルト原酒から出来上がったシングルモルトになります。

力強く重厚な味わいが特長で、特にピートを焚いたスモーキーな香りが際立ちます。

シングルモルト宮城峡

宮城峡蒸留所の原酒で作られるシングルモルトになります。

りんごや洋梨のようなフルーティさ、甘く華やかな花の香りが特長になっています。

ニッカセッション

こちらは、竹鶴ピュアモルトと同じくいわゆるピュアモルトになります。余市、宮城峡に加えて、スコットランドの原酒を使っているとのこと。「ベン・ネヴィスをはじめとして」という表現なので、どこの蒸留所の原酒を使っているのかは不明ですが、個性豊かなブレンドで、表情豊かなセッションを堪能できます。

ニッカカフェモルト

宮城峡のカフェ式連続式蒸留機を使って蒸留したモルト原酒をボトリングしたものになります。麦芽の甘さと香ばしさ、ほのかなバニラの香りが調和しています。

ニッカカフェグレーン

カフェ式連続式蒸留機を使って蒸留したグレーン原酒をボトリングしたものになります。ウッディさと甘いバニラ香、チョコレートを思わせるスイートな香りが調和します。

この他にカフェ式シリーズと言うわけでもないのですが、カフェジン、カフェウォッカも作られています。

ニッカフロンティア

2024年に新発売になったブレンドで、内容が非常に本格的で価格的にもコストパフォマンスが高くなっています。

余市のヘビーピートモルトをキーに採用し、心地よいスモーキーさと豊かなコク。ボトルは500mlと小さめですが、アルコール度数が48%と高く、濃厚な味わいです。

フロム・ザ・バレル

他に類似品が見当たらない個性的なウイスキーで、熟成されたモルトとグレーンはブレンドの後に再貯蔵されることで、割り水を最小限にとどめてボトルに詰められています。アルコール分51%で、内容量が500mlですが、このボトルデザインだとかなり小さめに見えるようになっていて、これはグラフィックデザイナーの佐藤卓によるもの。

ある意味、竹鶴や余市あたりと同じぐらい入手困難。多くのファンを抱えているブレンドです。

THE・NIKKA

2014年にニッカウヰスキー80周年、及び竹鶴政孝生誕120周年を記念して作られたブランドになります。通常はブレンデッドウイスキーはモルトよりグレーンの割合が高いものが多いが、ザ・ニッカではモルトの比率を多くすることで、よりモルトの風味を強くした味わいになっています。

ニッカ 伊達

宮城県限定で販売されているブレンデッドウイスキーになります。宮城峡のカフェスチルで作られたカフェモルトとカフェグレーンの特長を活かし、強さと優しさを兼ね備えたブレンデッドウイスキーです。

スーパーニッカ

1962年に発売されたブレンです。前年に死去した竹鶴の妻リタへ捧げるため、余市蒸留所内の貯蔵庫と研究室にこもりきりになって開発したそうです。当時は幻のスーパーニッカとよばれましたが、80年代に量産体制が整い、ニッカの顔となりました。

現在販売されているブレンドは、竹鶴が当初作ったものとは大きく異なっていて、余市のスモーキーかつ重厚で力強いピート感の漂う男性的なキャラクターを持ったモルト・宮城峡の柔らかさを伴った華やかな女性的なキャラクターを持ったモルト、そしてカフェスチルで蒸留したカフェグレーンの各種原酒をブレンドしたものです。

ハイニッカ

1964年に発売されたブレンドで、「ハイ」の由来はオーディオ用語の「ハイファイ」から取られているそうです。当時は大人気になった商品で、現在では値ごろなブレンデッドになります。

ブラックニッカクリア

ブラックニッカはニッカウヰスキーが製造しているブレンデッドウイスキーのシリーズで、一番最初のブランドは1956年から展開しています。

ブラックニッカクリアは1997年に発売されたもので、家庭用を視野にアルコール度数を37°と低く押さえ、価格も手頃なラインに押さえています。

ブラックニッカリッチブレンド

2013年に発売されたもので、シェリー樽で熟成させたモルトウイスキーと樽熟成させたグレーンウイスキーをブレンドしています。

2022年にリニュアルされています。

ブラックニッカディープブレンド

2015年に発売されたもので、ホワイトオークの新樽で熟成を重ねたモルト原酒と、樽熟成したカフェグレーン原酒をブレンド。

アルコール度数45°と高く、ウイスキー好きの間でとても評価の高いブランドになっています。

ブラックニッカスペシャル

1956年に特級ウイスキーとして発売され、竹鶴が考案したニッカエンブレムを大きくレイアウトした本格的なスコッチタイプのウイスキーとして誕生。65年に新ブラックニッカとして全面改良。さらに85年に新ブラックニッカがブラックニッカスペシャルとして全面改良。ブラックニッカの中では一番長い歴史を誇ります。

バランスの取れたブレンドでファンの評価が高いのですが、ニッカとしてはほとんどCMも打っておらず、知る人ぞ知る……という存在になっています。

ウイスキー以外のニッカ製品

ニッカカフェジン

宮城峡蒸留所のカフェ式連続式蒸留機を使って作ったクラフトジン。ジンにおなじみのジュニパーベリーに、柚子と甘夏、かぼすなど和柑橘の香り、程よくスパイシーなさんしょのアクセントが魅力です。

ニッカカフェウォッカ

カフェ式連続式蒸留機を使ったウォッカ。とうもろこしの甘い香りとやわらかなコク、スッキリとした甘さを残す後味が魅力です。

ニッカジンスパイア

ウイスキーにインスパイアされたジン、という製品になります。ヘビーピートモルトが生み出す、爽やかさとコクの融合が魅力です。

ニッカ ブランデー

X.Oデラックス、X.O白、V.S.O.P白というラインナップ。元来、ニッカ創業の地である余市はリンゴの名産地で、リンゴに関連した商品は意外にも長い歴史があります。

アップルワイン

昭和13年から愛され続ける商品になります。リンゴのワインにリンゴブランデーを加え、ブランデー樽にてゆっくりと熟成させた原酒を一部使用しています。ストレートでは濃厚な味わいで、ロックやソーダ割りがおすすめです。

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