スコッチウイスキーについて
ブレンデッドウイスキーとシングルモルトウイスキー
スコッチウイスキーに限りませんが、ウイスキーを大きく2つに分けるとブレンデッドウイスキーとシングルモルトウイスキーに分かれます。まずはこの2つの違いを把握するのだ第一歩といえるでしょう
ブレンデッドウイスキー
ブレンデッドウイスキーとはモルトウイスキー(大麦麦芽を原材料としたウイスキー)とグレーンウイスキー(トウモロコシやライ麦、小麦などを原材料としたウイスキー)をブレンドして造られるもの。どちらも複数の蒸留所の原酒を集めてブレンドするため、比較的量産が可能で価格もお手頃なもの、味わいは飲みやすくまろやかなものが多くなります。
シングルモルト
特定の蒸留所のモルトウイスキーのみをブレンドして造られたもの。年数表記があるものが多いのですが、これは例えば12年と記載されていたら、12年以上熟成した原酒を使っているという意味。なので、ウイスキー不況の時代には12年ものに20年からそれ以上の原酒が使われているケースすらありましたが、昨今のウイスキーブームで慢性的な原酒不足が続き、そうした例は無くなってきたようです。
なお、一つの樽の原酒のみをボトリングしたものをシングルバレル、複数の樽を使いますが加水してアルコール調整していないものをカスクストレングスと呼ぶこともあります。
その他のウイスキー
ほとんどのウイスキーは上記の2つの区分に収まりますが、幾つかの例外があります。
ブレンデッドモルト
ピュアモルトなどと呼ぶこともあります。シングルモルトが単一の蒸留所のモルト原酒を使っているのに対し、複数の蒸留所の原酒をブレンドしています。モンキーショルダー、ジョニーウォーカーグリーンラベルなどが有名です。
シングルグレーン
一つの蒸留所のグレーンウイスキーのみをブレンドして造られたもの。ロッホローモンドシングルグレーンやキャメロンブリッジなどが知られています。
地域区分
スコッチウイスキーの世界では、蒸留所のある地域ごとに6つの区分がされています。
もちろん、各蒸留所の個性もあるので一概には言えませんが、それぞれの地域の特長がある程度はっきりしていて、例えば初心者ならばハイランドかスペイサイド、癖のあるウイスキーを求めるならアイラモルトかアイランズ・モルト……といった感じである程度の目安にはなっています。

ハイランド スペイサイド ローランド キャンベルタウン アイラモルト アイランズモルト
歴史
起源
ウイスキーの製法がスコットランドに伝わったのは、12世紀から13世紀にかけてで、蒸留技術はアイルランドからキリスト教と共に伝来したとされています。当時は教会が酒造りをしているのが普通で、アクアヴィテと呼ばれていたそうです。アクアヴィテはラテン語で「生命の水」という意味で、これをゲール語に訳した「ウシュクベーハ」がさらに訛って「ウイスキー」になったそうです。
密造時代
ウイスキーに課税が始まったのは1644年で、1707年にはスコットランド王国がイングランド王国と合同して新たに成立したグレートブリテン王国の一部となりました。1725年には対仏戦争の戦費捻出のため大幅に課税強化され、しかも徴税官がイングランド人であったこともあり、スコットランド人の反イングランド感情を刺激して、多くの蒸留所が密造を行うようになります。
この密造時代には多くの生産者がハイランド地方の山奥の谷で蒸留を行ったという経緯があり、今でもスコッチの蒸留所に「グレン~~」という名称が多くつけられているのはその名残りです(「グレン」はゲール語で「谷」の意味)。
密造酒を保管するのに、徴税官がきたらすぐに逃げられるように原酒を樽に入れて保管していたのですが、それによって樽の香りや色がウイスキーに移り、それが現在の「琥珀色でまろやかな味わいを持つ」ウイスキーの特長に繋がったそうです。
政府公認蒸留所と連続式蒸留機の発明
1823年に酒税法が改正されて税率が大幅に引き下げられたため、ウイスキーは新時代を迎えます。
この時、英国王のジョージ4世が密造業者ジョージ・スミスのウイスキー「ザ・グレンリベット」を愛飲していたことから、「国王が密造酒を好むことがあってはならない」という理由で酒税率を下げたという逸話が残っています(本当かどうか、ちょっと怪しいそうですが)。
この引き下げを受けて、1825年にザ・グレンリベット蒸留所は正式に政府公認蒸留所第一号として登録。翌26年にはマッカラン蒸留所も公認第二号として登録しています。当時、ザ・グレンリベット蒸留所のジョージ・スミスは他の蒸留業者からは裏切り者と言われて命を狙われていたため、常に拳銃を持ち歩いていたそうです。
また、1826年にスコットランド人のロバート・スタインが連続式蒸留機を発明。これをアイルランド人のイーニアす・コフィが改良して1831年に特許を取得しました。このコフィ式連続蒸留器(ポットスチル)によって、製造効率は大幅にアップして大量生産が可能になりました。
ちなみにこのコフィ式ポットスチルは、日本ではニッカウヰスキーの宮城峡蒸留所でカフェ式ポットスチルとして今でも使われていて、ウイスキーファンの間では有名です。宮城峡蒸留所が設立した当時はすでに時代遅れになっていたカフェ式ポットスチルですが、ニッカの創業者竹鶴政孝はニッカの味わいを確立するために敢えて、この蒸留器を導入したそうです。
ローランド地方の蒸留業者はこの連続式蒸留機を積極的に導入し、さらに原料をトウモロコシなどの安価な穀物に切り替え、いわゆるグレーンウイスキーが誕生します。
現在でも、ハイランド地方はモルトウイスキー(昔ながらの大麦麦芽原料のウイスキー)、ローランド地方はグレーンウイスキーを多く作っていて、その伝統は維持されています。
そして、1860年に、異なるウイスキーを混合させてはならない、と定められていた法律を改正し、保税貯蔵庫内であれば混合が可能になったことで、モルトウイスキーとグレーンウイスキーを混合したブレンデッドウイスキーが誕生。
これはスコッチウイスキーの価格の引き下げと生産量の増加に大いに寄与しました。
ウイスキーブームの到来と停滞
こうしてウイスキーが飛躍する条件が整ったタイミングで、ヨーロッパではフランスのブドウがフィロキセラと呼ばれる害虫によって壊滅的な被害を受けて、ブドウを原料とするワインや、それを蒸留して造られるブランデーも生産不可能な事態となりました。それは1870年代から80年代にかけてのことで、このためロンドンの上流中流階級ではウイスキーが日常的に飲まれるようになり、イギリス全土に波及。さらに1877年にグレーンウイスキー業者6社が合同して設立したDCL社(現在のディアジオ)が大陸にウイスキーの輸出を推し進め、ワインとブランデーが復活するまでの間に確固とした市場を築き上げました。
19世紀後半にガラス製品の大量生産が可能になったことで、ウイスキーを詰めるボトルとして定着。さらに容器の蓋には長らくコルク栓が使われてきましたが、ワインと違いボトル内で熟成する必要が無く、一度に飲み切ることが少ないことから、1913年にティーチャーズが木製頭部つきのコルク栓を開発、さらにホワイトホースが金属製のスクリューキャップを発明。現在のウイスキーの体裁に近づいてきました。
しかし、20世紀初頭に最大のマーケットであったアメリカで禁酒法が施行され、スコッチウイスキー製造業は大打撃を受けます。そして第一次世界大戦、第二次世界大戦と世界恐慌と続き、多くの蒸留所が閉鎖を余儀なくされます。また、現在まで続く多くの名門蒸留所も幾度もオーナーを変えて続いてきたというケースが多いのですが、それもウイスキーが製品として出荷できるまで時間がかかる資本効率の悪い産業である上に、基本的に生活必需品ではなく嗜好品であるので、蒸留所が割と簡単に経営破綻するという事情もあります。
第二次世界大戦後
第二次大戦において、ウイスキーの原料の配給になったこともあり、製造が落ち込んだこともありますが、ヨーロッパに派兵されてきた米兵に配給品として配られ、それによって米兵の間でスコッチウイスキーが馴染みになり、戦後に帰郷した米兵たちがスコッチを好んで飲んだために需要が大幅に増えました。
アメリカの経済は1950年代、60年代に大好況を迎え、その波に乗ってスコッチウイスキーは世界的に最大のウイスキーの産地として定着しました。
80年代には嗜好の変化から、やはり世界的なウイスキー不況の時代を迎えますが、2000年代初頭に入ると、再びウイスキーが見直されはじめ、同時にそれまでブレンデッドウイスキーが主流であったのに対し、高額品であるシングルモルトが馴染み深いものになってきました。